2017年08月16日

『ひよっこ』と戦慄のインパール

終戦の日に放送されたNHKスペシャル、
『戦慄の記録 インパール』。

このタイトルだけでは、
何のことだか分からず見てなかったはず。
『ひよっこ』宗男の回で知るまでは。。。

インパール作戦、
それは極めて曖昧な意思決定によって
進められた計画…

「やらなくていい作戦だった」

強行に反対したと言う小畑参謀長。
その遺族が父親の言葉を覚えていると語ります。

兵站(前線の部隊に食料や弾薬を補給する任務)の
観点から、
「作戦は実施すべきではない」
そう牟田口司令官に進言するも、
「消極的だ」と叱責され更迭。

冷静な分析よりも、
組織内の人間関係が優先されたのだ。

戦後72年の今でも、何が違う?


作戦反対の意見は封じられて行き、
その記録を斎藤少尉(23)が残しています。

〈経理部長さえも、
 「補給は全く不可能」と明言しましたが、
 全員が大声で。
 「卑怯者、大和魂はあるのか」と怒鳴りつけ、
 従うしかない状況だった〉

1944年3月8日 インパール作戦開始。

この川幅をどう渡ったのか、
2000m級の山岳地帯を、
道なきジャングルを…
トラックや大砲を解体して持ち運ぶしか
なかったと言う、想像を絶する状況。

作戦の変更を訴える師団に、
牟田口司令官の怒号。

〈師団長と牟田口司令官との
 けんかのやりとりが続いた。
 司令官は「善処しろとは何事か。
 バカヤロウ」の応答だった〉

 牟田口司令官から作戦参謀に、
 「どの位の損害が出るか」と質問があり、
 「はい、5000人殺せば(陣地が)とれると思います」
 と返事。最初は敵を5000人殺すのかと思った。
 それは味方の師団で
 5000人の損害が出るということだった。
 まるで虫けらでも殺すみたいに
 隷下部隊の損害を表現する。

 参謀部の将校から
 「何千人殺せばどこがとれる」
 という言葉をよく耳にした〉


兵站(へいたん)を度外視したインパール作戦。
それは敵国イギリス軍の戦力を
軽視した戦いでもあった。

短期決戦を期した日本軍に対し、
イギリス軍は航空機による補給線で
持久戦に持ち込む作戦を周到に立てていた。

日本の兵士が命じられたのは肉薄攻撃。
爆弾を抱えたまま敵の戦車に飛び込ませる…

特攻と同じか…虫けらか。

もうやめたくてもやめられない状況。
作戦変更の余地は無く
どんな犠牲を払ってもいいと言う軍司令部。

作戦開始から2ヶ月。

武器も弾薬もない中で、
少なくとも800人の兵士が戦死。


〈私たちの朝は
 道路上の兵隊の死体仕分けから始まります。
 司令部では毎朝牟田口司令官の
 戦勝祈願の祝詞(のりと)から始まります。
 「インパールを落とさせ賜え」の神がかりでした〉


「天皇陛下万歳と言う人は少ないですから、
 たいがい、お母さんの名前。
 その次はお母さん居ない人は
 お父さんの名前を呼んで
 死んでいきますね」 鈴木公・元軍曹(96)


1万人が命を落としていても、
司令官たちは作戦中止を判断しなかった。
その後も増える戦死者。

そして作戦開始から4か月後、
ようやく大本営が中止を決定した。
兵士たちに先駆けて
現場を離脱した牟田口司令官…

卑怯者?大和魂?は?


インパール作戦の悲劇と言われるのが、
作戦中止後に6割の兵士が亡くなっていること。

「数えきれない程の日本兵が自殺を図って
 岸へ飛び込み死んでいきました。
 あのたくさんの遺体は
 長い間放置されたに違いありません」

元イギリス兵(95)が語ります。

イギリス軍の自分たちとは違い、
傲慢で愚かな上層部の下、死んでいった
兵士を哀れに思ったかもしれない。

『ひよっこ』がドラマであれ、
宗男を助けたイギリス兵と被りました。
個々には恨みも殺意もないんですから。

戦争がどれだけ無意味で悲惨なことか。
伝え教えて来なかった教育も、
インパール作戦同様に国の汚点だと思える。

糸口を作って見せてくれた岡田脚本の手腕。
改めて『ひよっこ』の凄さを思う。

白骨街道…
宗男も通って来たんだっぺか。
生ぎて帰って来なきゃイギリスもビートルズも、
ながった話だがんな。。。



記録係だった斎藤少尉は、
マラリアにかかり置き去りに…

〈密林中に雨は止まぬ。
 喘(あえ)ぎ喘ぎ十メートル歩いては休む。
 二十メートル行っては
 転がるように座る。
 道端の死体が
 俺の行く末を暗示する〉

死者の半数は戦闘ではなく、
病気や飢えで命を奪われていたと言う悲劇。
自決するにも力がない兵士は、
剣を上に向けて自分の体を上に乗せたとか。

友軍の肉を切って取って物々交換したり売ったりと、
生き証人の記憶が生々しい。


〈7月26日。
 死ねば往来する兵がすぐ裸にして一切の装具を、
 ふんどしに至るまで剥いで持って行ってしまう。
 修羅場である。
 生きんがためには皇軍同士もない。
 死体さえも食えば、腹が張るんだと兵士が言う。

 野戦患者収容所では、
 足手まといとなる患者全員に
 最後の乾パン一食分と小銃弾、手榴弾を与え
 七百余名を自決にせしめ
 死ねぬ将兵は勤務員にて殺したりきと。
 私も恥ずかしくない死に方をしよう〉


戦死者は約3万。
傷病者は約4万。

8万6千人の兵力が帰還時には1万2千人に。
これが人間の数なのか…


「インパール作戦は上司の指示だった」
最後まで作戦の正当性を訴え続けた
牟田口司令官。
腹を切ることも出来ず、
1966年77歳でこの世を去った。

そして記録係だった斎藤少尉は…

今現在96歳で!
車椅子で最後に姿を見せたのには驚きました。

これまで戦争について語ることはなかったと言います。

「よく見つけたねぇ。
 あんまり見たくないね。
 はぁ、インパール。。。」

自分が残した戦慄の記録を見る元少尉。


〈片足を泥中に突っ込んだまま
 力尽きて死んでいる者。
 水を飲まんとして水に打たれている死体。
 そう言えば死体には、兵、軍属が多い。
 確かに、将校、下士官は死んでいない〉

「悔しいけれど、
 兵隊に対する考えは、そんなもんです。
 知っちゃったら、辛いです」

言葉を振り絞り涙声で語ってくれた生き証人。
帰国後には家族を持ち、
戦後72年の今まで生きてくれていた。
背負い続けて来たものは大きすぎるけれど…

〈生き残りたる悲しみは
 死んでいった者への哀悼以上に深く寂しい。
 国家の指導層の理念に疑いを抱く。
 望みなき戦を戦う。
 世にこれほどの悲惨事があろうか〉


もう大丈夫だよって、
言えない今も。。。

どうして?


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