2016年06月05日
『トットてれび』 第5話
今回のエンディングも、上手いなぁ。。。
『寺内貫太郎一家』ヽ(*´∀`)ノ
♪パヤパ~をバックに徹子さんが踊ります。
100歳の徹子さんも一緒に。
「向田さん。
私ね、面白いおばあさんになる」
『寺内~』も『時間ですよ』も、
向田脚本だったんですね~。
『阿修羅のごとく』は知らないんですけど、
『パパと呼ばないで』もそうだったなんて、
今更ながら驚きましたよ。
しかも、今回を見るまで…
向田さんは九ちゃんと一緒の飛行機で亡くなったと
思い込んでましたもん!
《昭和56年(1981)8月22日》
って映像を見て「ん?」って考えてました。
どこで脳内変換されちゃったんだろう?
この4年後に九ちゃんが…(-人-)
飛行機嫌いだったと言う向田さんが、
それまでの原稿を全て捨てて引っ越し、
事故に遭うと言う運命。
他愛もないお喋りに花を咲かせた日々。。。
〈あの時間は一体何だったのか、
トットちゃんは今でも不思議に思う〉
振り返ると、不思議なことだらけですよね。
ここまでよく生きて来られたわってぐらい。
キョンキョンの語りにトランペットのBGM、
『あまちゃん』の切ないシーンと重なる
大友音楽が心地良くも切なくも見せてくれる。。。
向田さんと初めて会った日のことを思い出す
トットちゃん。
「禍福はあざなえる縄の如し。
というのはどういう意味でしょうか」 徹子
「人生は、幸福の縄と不孝の縄、
2つの縄がよってあるようなものだ。
つまり、幸福の裏には必ず不幸がある。
っていうことじゃない」 向田
「そうかな。。。その、
幸福の縄だけでよってあるってことは
ないんですか?」
「ないの」
乳がん克服後の直木賞受賞に、
この後の不幸を想像できるはずもなく…
「あれ、正しかったみたい」 笑顔の徹子
「そうね~。
人生悪いこともいいこともあるわよね」 向田
死ぬほどの事って最悪の事態でしょうけど、
本人より周囲の人にとって…ですかね。
生きてる側の方が辛いもの。
にゃんこたち、どうしたんだろう。。。
【手作りの洋服から一流ブランドの洋服まで
向田邦子流に着こなし、料理上手で
骨董品や美術品の目利きのセンスも抜群。
人気脚本家となっても庶民的な感覚を持ち、
愛され続ける向田邦子さん】 blogs.yahoo.co.jp
あの写真に似たものを探すうち、
どれも本当に美しくて…本当に残念。
51歳って今だから若いと思えますけど、
その当時は
小説家のおばさんが亡くなったんだってぐらいの印象。
ひばりも裕次郎も同じ、若すぎる~。
昔の人って落ち着いてたと言うか、大人でしたね。
『とと姉ちゃん』で、
乳繰り合う星野さんと常子に、
「最近の若いやつは!」って言う大人に笑ってしまった。
現代の若者を見たら嘆くどころじゃないでしょうね。
いつの時代にも「今の若いもんは」って言う大人が居ると言う。
「乳繰り合う」ってこう書くんだって言う(笑)
たまねぎヘアのせいもあってか、
メイクもそっくり「黒柳徹子」まんまで感心しちゃう。
ミムラさんの向田さんも、そう見える。。。
親友の別れにジーンと来ちゃいました。
留守番電話をまた上手く使って見せるんだもの。
【当時珍しかった留守番電話を
早い時期に導入していた。
機械に慣れない人々が
面白いメッセージを多く残したが、
中でも秀逸は黒柳徹子で、
一分/一通話のシステムでは足りなかったらしく
特有の早口で九通話連続で
吹き込まれていたというものであった。
しかし用件には全く触れられておらず
「後で直に会って話すわね。」
という楽しいオチであったため、
消去せずに保存して来客に聞かせて、
もてなしの一つにした】 wiki
留守電テープの声って、消せないですね~。
黒いニチャニチャしたお菓子も、
上手く見せてくれました~(・・、)
中園さん、さすがっすね!
幸運の中で生かされてるとしたら、
その裏の不運はちょこっとでお願いします(-人-)
第6話へ
ありがとうございます。
『寺内貫太郎一家』ヽ(*´∀`)ノ
♪パヤパ~をバックに徹子さんが踊ります。
100歳の徹子さんも一緒に。
「向田さん。
私ね、面白いおばあさんになる」
『寺内~』も『時間ですよ』も、
向田脚本だったんですね~。
『阿修羅のごとく』は知らないんですけど、
『パパと呼ばないで』もそうだったなんて、
今更ながら驚きましたよ。
しかも、今回を見るまで…
向田さんは九ちゃんと一緒の飛行機で亡くなったと
思い込んでましたもん!
《昭和56年(1981)8月22日》
って映像を見て「ん?」って考えてました。
どこで脳内変換されちゃったんだろう?
この4年後に九ちゃんが…(-人-)
飛行機嫌いだったと言う向田さんが、
それまでの原稿を全て捨てて引っ越し、
事故に遭うと言う運命。
他愛もないお喋りに花を咲かせた日々。。。
〈あの時間は一体何だったのか、
トットちゃんは今でも不思議に思う〉
振り返ると、不思議なことだらけですよね。
ここまでよく生きて来られたわってぐらい。
キョンキョンの語りにトランペットのBGM、
『あまちゃん』の切ないシーンと重なる
大友音楽が心地良くも切なくも見せてくれる。。。
向田さんと初めて会った日のことを思い出す
トットちゃん。
「禍福はあざなえる縄の如し。
というのはどういう意味でしょうか」 徹子
「人生は、幸福の縄と不孝の縄、
2つの縄がよってあるようなものだ。
つまり、幸福の裏には必ず不幸がある。
っていうことじゃない」 向田
「そうかな。。。その、
幸福の縄だけでよってあるってことは
ないんですか?」
「ないの」
乳がん克服後の直木賞受賞に、
この後の不幸を想像できるはずもなく…
「あれ、正しかったみたい」 笑顔の徹子
「そうね~。
人生悪いこともいいこともあるわよね」 向田
死ぬほどの事って最悪の事態でしょうけど、
本人より周囲の人にとって…ですかね。
生きてる側の方が辛いもの。
にゃんこたち、どうしたんだろう。。。
【手作りの洋服から一流ブランドの洋服まで
向田邦子流に着こなし、料理上手で
骨董品や美術品の目利きのセンスも抜群。
人気脚本家となっても庶民的な感覚を持ち、
愛され続ける向田邦子さん】 blogs.yahoo.co.jp
あの写真に似たものを探すうち、
どれも本当に美しくて…本当に残念。
51歳って今だから若いと思えますけど、
その当時は
小説家のおばさんが亡くなったんだってぐらいの印象。
ひばりも裕次郎も同じ、若すぎる~。
昔の人って落ち着いてたと言うか、大人でしたね。
『とと姉ちゃん』で、
乳繰り合う星野さんと常子に、
「最近の若いやつは!」って言う大人に笑ってしまった。
現代の若者を見たら嘆くどころじゃないでしょうね。
いつの時代にも「今の若いもんは」って言う大人が居ると言う。
「乳繰り合う」ってこう書くんだって言う(笑)
たまねぎヘアのせいもあってか、
メイクもそっくり「黒柳徹子」まんまで感心しちゃう。
ミムラさんの向田さんも、そう見える。。。
親友の別れにジーンと来ちゃいました。
留守番電話をまた上手く使って見せるんだもの。
【当時珍しかった留守番電話を
早い時期に導入していた。
機械に慣れない人々が
面白いメッセージを多く残したが、
中でも秀逸は黒柳徹子で、
一分/一通話のシステムでは足りなかったらしく
特有の早口で九通話連続で
吹き込まれていたというものであった。
しかし用件には全く触れられておらず
「後で直に会って話すわね。」
という楽しいオチであったため、
消去せずに保存して来客に聞かせて、
もてなしの一つにした】 wiki
留守電テープの声って、消せないですね~。
黒いニチャニチャしたお菓子も、
上手く見せてくれました~(・・、)
中園さん、さすがっすね!
幸運の中で生かされてるとしたら、
その裏の不運はちょこっとでお願いします(-人-)
第6話へ
ありがとうございます。